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柳田国男論

, 柄谷行人

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無料ダウンロード柳田国男論 pdf - 内容紹介 長らく封印されてきた著者32歳時の長篇評論「柳田国男試論」350枚、書下し序文を付して初の単行本化成る! 柳田国男の〈方法〉を問い、柳田論に新たな視角を拓く。『マルクスその可能性の中心』と並行して執筆され、『日本近代文学の起源』を先取りした最重要論考「柳田国男試論」(1974年)。序文の他に「柳田国男の神」(1974年)、「柳田国男論」(1986年、既発表)を収録した柳田論集成。 内容(「BOOK」データベースより) 長らく封印されてきた著者三十二歳時の長篇評論350枚、関連作を併せて初の単行本化!『マルクスその可能性の中心』と並行して執筆され、『日本近代文学の起源』に先駆する最重要論考。柳田国男の「方法」。 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 柄谷/行人 1941年8月生まれ。思想家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです) 続きを見る
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落ち葉は風を恨まない、という台詞が勝新監督版『座頭市』(全シリーズ中三指にはいるだろう大傑作)にある。正確には、そう文字が記された市の竹筒を目にとめて、村のはずれで捨子らをひとりで育てる娘が「いえ、落ち葉は風を恨みます」と静かに凛然と反駁し、市が同意するようなしないようなはにかみをただみせるという場面においてである。その文言を市にしられず記したのは落魄れても武士の一分は捨てぬ素浪人緒方拳なのだが(ふたりの出会いをつむぐ映像のリズムがすばらしい)、それはかれなりの市の漂泊の人生への賛歌であり、また己への屈託こみのなにがしかでもあった。だが市は盲いるまえのかすかな瞼の母の憧憬を抱いており、その意味では恨みもするし恨みもしないという宙ぶらりんにある。浪人のような達観の装いに美意識などかんじないだろうし、共同体のはずれにいる娘のような強い呪詛をかかえるわけでもない。かれは自由で孤独な按摩稼業の旅人(たびにん)だ。渡世の風に吹かれる遊侠であった。なにより義理より人情に生きた。つまり武士道や村の定めあるいは親分子分客分のヤクザの掟ではなく、そういうの世間の権力や権威の後ろ盾なしに弱きを助け強きを挫くという意気、裸の任侠こそがかれのものであった。さてみごとに根底的(ラディカル)な明晰さをもつ本書中の「柳田国男試論」をまえに、あいまいな感傷で濁してロマンティックに勝新座頭市を遊動性(ノマド)の形象の一種だといいはるつもりはないのだが。本書の本論というべき、長らく未刊であった『マルクスその可能性の中心』と同時期執筆の「試論」の冒頭で、柄谷は柳田が国語を古人の命名であるコトノハ(言の葉)というイメージでとらえていたという。その葉の繁り、落ち、朽ち、ふたたび芽吹くという自然史的な堆積として言語(ものいひ)はある。言語には自然に対した人間の必要によって強いられた必然さ、やむべからざる実質が生きつづけている。そんな存在論的認識が柳田にはあったのだとして、かれの民俗学を言葉の内の感覚への自己省察と定義づける。言葉の内の感覚とは深層の意味とか心理ではない。むしろそういう文字化の錯覚をはいだときにみえかくれする、自然に対する人間の関係そのもの、物としてあらわれる人間の受動的で必然的な存在形態、すなわち固有信仰である。あれかこれかの選択できる宗教ではない、それがそれ以外ではありえなかったという必然さに根ざす心意(沈黙の言語)のありようである。柳田のこの方法(思考)は、言とは事であり心でもあるという本居宣長のもののあわれの古の道の訪ねと類比される。つまり柳田は現存する言の綿密な比較考証を通して事と心にひろく深くわけいった。息づく物深き、小さきものをたずね蒐集採録したのである。言の葉とは事の葉、心の葉、端、波でもあろう。その人間の自然史にはたえまなく風も吹いていよう、言の葉はわれしらずどこまでゆくだろうか。そんなイメージゆえに落ち葉舞うかの『座頭市』をおもいだしたというわけだ。もちろんこの連想はそう恣意的なものではない。古来旅は必要にかられたういものつらいものであったと柳田はのべる。それを引用して柄谷は氏神(先祖)を祀る共同体の小さき固有なありようどうように、その所属からの移動にも、柳田はおなじく根底的な認識をもっていたという。ひとが個人となるのは旅人という生存の形態においてである。その生存をかけた労苦の心意が個人の信仰の起源ともなる。そしてむしろ柳田の実人生にはそんな旅への感受性が濃くあった。物深さには物憑き物狂いが接し、小さきものは幽冥界と交通し、それは山の人生、山人に結びつく。したがってコトノハの内なる感覚には定住と移動の強いられた人間苦が織りなされており、それがこの島国の固有信仰の陰翳ある襞であったといってもいいだろう。それを分別して、柳田の実験の史学の可能性の中心として山人の遊動性を数十年後に柄谷はみいだすことになる(近著『遊動論山人と柳田国男』)といまいえる。飢餓と孤島苦といった生存の条件の悲惨さに、どのような人間苦の偉大さが宿っているのか。消失した山人の強いられたやむべからざる自由と平等の感覚が、物深く微細なかたちで、抑圧されたものが別(高次)元で回帰してくるように物故ゆえの実現をせまる。柳田の固有信仰にはそんな実践への息吹がたえなかった。かれにおいて民俗学は経世済民の古の道であったのだと本書でも繰り返し柄谷は念をおすのである。そんなわけで、わたしにはやっぱりみずから落ち葉となって落ち葉とおっかけっこするように風に吹かれゆく座頭市(むろん勝新の、だ)の、弱きを助け強きを挫く遊侠の姿がやはり遊動性と重なって揺曳してしまう。
de 柄谷行人
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